エリアフ・インバル、エクストン・スペシャル・インタビュー

3月29日イベントでのインバル氏

「交響曲の神格であるマーラー。最大であり、最後のシンフォニスト」

都響のプリンシパル・コンダクターとして約1ヶ月の滞在中、多彩な演奏会で聴衆を魅了したマエストロ・インバル。今回はEXTONラジオのためのスペシャル・インタビューも敢行。マエストロから音楽についての興味深いお話をたくさん伺いました。

 

 

 


 

Q1 EXTONからマーラー交響曲第8番がリリースになりました。「千人の交響曲」は今までに何回録音されましたか?また今回の「千人の交響曲」の聴きどころは何でしょうか?

EI:私が記憶する限り、マーラーの交響曲第8番は以前フランクフルト放送響とのDENONでの録音があります。8番以外は2回録音しているのですが、この交響曲は1回しかやっておりません。数年前にプライベート盤としてアニバーサリー用に録ったものがありますが、あくまで会員用で市販されてはいません。
今回の新しい「千人の交響曲」の聴きどころといえば、マーラーは生きた音楽です。私は指揮者ですが、私も「千人」を20年前と現在とでは同じ演奏はしませんし、またドイツのオーケストラで演奏する場合と日本のオーケストラで演奏する場合も、同じにはなりません。異なるホール、異なる聴衆など変化をもたらす要因はたくさんあり、またマーラーの音楽は非常に深い精神的なメッセージを持っているので、そのメッセージは時代に応じて成長し変化します。そう、ベートーヴェンの音楽のように。決して一つの可能性だけに凝り固まるのではなく、その時代時代の表現となるのです。そのようにして、我々が昨年4月に行ったこの「千人の交響曲」も全く新しいものだと言えるでしょう。

Q2 マエストロにとってマーラーはどのような作曲家ですか?

EI:マーラーという作曲家は時代を通じて最も偉大な交響曲の作曲家です。もちろん、古典派、ロマン派を通じて、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンに始まり、シューベルト、シューマン、ブラームスなど素晴らしい交響曲の作曲家がおりますが、マーラーはそういった一連の流れのいわばクライマックスにあたり、交響曲というジャンルが達成しうる最大限の作曲家です。まさに交響曲の神格といえましょうか。マーラーは最後の交響曲作曲家と言える存在です。その後は全てが日々のビジネスになってしまい、マーラーのような全人類に向けたメッセージとはなっていません。マーラーは交響曲という音楽に最後の意味を与えようとした作曲家であり、もちろん、彼の前にはブルックナーという作曲家もいますね。
そういった意味で、マーラーは私にとって最も偉大な交響曲作曲家であり、マーラーが表現しようとしたの音楽、命、精神、思想、そして全ての人類を突き動かすものなのです。それは恐怖、希望、思考、宗教、あるいはこの世界には見えない何かで、マーラーの音楽にはそれら全てが入っているのです。マーラーの音楽は次の世代の人々にも通じる表現であり、そうした人々もまるで今日書かれたかのように理解し得る。そういった意味で、マーラーは同時代の作曲家といえるのかもしれません。

Q3 今回プリンシパル・コンダクターに就任した都響についてどのようにお考えでしょうか?

EI:都響との関係はもうずいぶん昔からで、かれこれ20年以上前になるでしょうか。8年前の2000年くらいまでに都響とはたくさんのレパートリーとたくさんのコンサートを行いました。その後投票があり、プリンシパル・コンダクターに選ばれたというわけです。
彼らは特別な魅力をもつオーケストラで、私は非常に人間味のある音楽性を持っていると思っています。あたたかさをもった音楽表現がこのオーケストラからは聴こえてくる。彼らは技術的な面でも非常に素晴らしくヴュルトゥオーゾであり、このオーケストラの一番の特徴でもある、人間的なあたたかみをもった音楽のクオリティに溢れています。それは非常に重要なことです。

Q4 最後に日本のお客様へメッセージを。

EI:私は、こうして再び日本での活動が増えることを大変うれしく思っております。私は日本の聴衆のみなさまが大好きであり、私の活動や演奏をわかってくださり、熱狂をもって迎えてくださいます。
日本には他の国や場所にはない非常に特別な何かがあります。それは、全てがあるべき場所にある、つまり全てが非常にきちんと調整されているということです。私は日本ではあまりびっくりすることがありません。というのも、驚くとしても、それは理解できる驚きであるのです…たとえば、イタリアに行ってごらんなさい。毎日理解できない驚きばっかりですから(笑。日本ではそのようなことは起こりません。日本では全てが非常に信頼でき、そうしましょうと決められたことが確実に行われます。それは日本の人々が非常にきちんとしていて、日本語の話せないアーティストや会社に対して、助けてあげようという気持ちがあるからだと思うのです。こういうわけで、私は日本で仕事をしたいと思いました。非常に気持ちが良いし、それがあるから、私は本当に酷い時差ぼけにも関わらず、日本に来ようと決心したのです。本当に私の時差ぼけときたら、大変なのです。まるで犬のようです。最低でも1週間は経たないと直りません。これまで時差ぼけにならなかったことはありません。しかしそのような辛い時差ぼけを考慮したとしても、それ以外のことがあまりに素晴らしく、重要なのです。そうそう、特に私は日本食が大好きで、納豆でもオクラでも何でも食べますよ(笑。本当に大好きです。日本に来ると、毎日がお祝いみたいなんです(笑。


今後の新録音にもぜひご期待下さい!